おしらせ2007年10月21日
「送る言葉」 女性科学者に明るい未来をの会
会長 古在由秀

「女性科学者に明るい未来をの会」の創設者であり、発足以来27年間専務理事として会の運営にあたってこられた猿橋勝子博士は、9月29日早朝、食欲不振の原因を調べるため検査入院されていた青梅市の病院で逝去されました。会にとっては、測り知れない痛手であり、大きな悲しみであります。
猿橋博士は、1920年(大正9年)3月22日に東京でお生まれになり、東京府立第六高等女学校をへて、創立後間もない帝国女子理学専門学校(現在の東邦大学理学部)を1943年に卒業されました。女性が高等教育を受ける機会が少なかった時代に、女性に理学をというこの学校には、新進気鋭の先生方がそろっておられたのだと思います。
卒業されると、後に気象庁となった中央気象台の研究部で働かれるようになり、三宅康雄博士に師事されました。そして、第二次世界大戦終了後、中央気象台気象研究所研究官に任命され、1980年部長として定年退官されるまで、地球化学研究部で勤務されました。
この間、一心不乱に研究に励まれ、また数学の学力が足りないと気づくと、神田の研数学館の夜間部で授業を受けられたそうです。
猿橋博士の研究の主題は、海水の化学的性質の解明と伺っていますが、専門的なことは関係学会の方が述べられると思います。その中で、猿橋博士の研究が世界の学界で注目を浴びたのは、1954年3月、太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験で被爆した、第五福竜丸の船員の方々の汚染調査でした。ここで猿橋博士の考案された研究方法が取り上げられ、海洋での放射能物質の拡散の研究という未開拓な分野で大きな業績を生むきっかけとなりました。これはまた、原水爆禁止や平和運動に熱心に参加される端緒となったと思います。これらの研究で、1957年、理学博士の称号を東京大学から受けられました。
1958年には、各方面からの要望を受け、「日本婦人科学者の会」の創設に力を尽くされ、同年「世界婦人集会」に日本代表として参加されました。
1975年は、国連の提唱する「国際婦人年」にあたり、日本学術会議は「婦人研究者問題小委員会」を設置しましたが、猿橋博士はその会の幹事として活躍されました。そして、1981年第12期の発足にあたり、猿橋博士は日本学術会議会員に当選されました。猿橋博士は女性としての初めての会員であり、その後、選挙による制度は廃止され、猿橋博士は選挙で当選した唯一の女性会員になりました。この期でも、猿橋博士は「婦人研究者問題小委員会」に熱意を持って参加されました。
1980年気象研究所を退官される際、ご自分が受領された退職金や、退官記念パーティに集まった人たちの拠金により、自然科学分野の研究に従事する女性科学者を励まし、その地位の向上を目指して、「女性科学者に明るい未来をの会」を創設されました。事実、男性と同じような研究業績をあげながら、不当に低い地位にとどめおかれている女性研究者の数がとても多かったことを、前述の小委員会が中心となっての調査でも確かめられました。
「女性科学者に明るい未来をの会」では、50歳未満の優れた女性科学者を顕彰するため「猿橋賞」を設け、1981年から今年まで27名の方を選び、この賞をさし上げています。この賞は、このような優れた女性科学者が研究に従事しているということを、世間に知らせたという点で大きな成果があり、また歴代の受賞者がその後も大活躍され、後進の科学者の育成にあたっていることは、廣く知られています。
猿橋博士は、会の理事会や賞の選考委員会には、最後の二年をのぞいて毎回出席され、受賞者の新聞発表の場や授賞式にも出席されました。また最後のお二人も、尊敬している博士にお会いしたいというたってのご希望で、猿橋博士を訪ね、そのお話を伺っています。
猿橋博士は、母校の東邦大学理事や客員教授も務められました。また、日中国交正常化20周年記念行事として計画された日中女性科学者シンポジウムにも出席されています。
猿橋博士はこのように各方面で活躍され、1981年にエイボン女性大賞、1985年に三宅賞、1993年に日本海水学会から田中賞を受賞されておられます。
猿橋博士がどんな趣味をお持ちであったか、私は知りませんでしたが、亡くなってから、気象研究所時代にテニスをしておられる写真、仲間と一緒の山登りの写真、更に社交ダンスコンテストのトロフィーを持たれた写真を拝見し、スポーツはお好きであったと聞きました。また、東邦大学同窓会の俳句の会に同人として参加され、情緒あふれる俳句をよんでおられたことも知りました。その会の句集は、何枚かの写真と一緒に展示させて頂いています。
「女性科学者に明るい未来をの会」は、猿橋博士の高い見識と熱意によって運営され、猿橋博士の考えに賛同する多くの方に支えられてきました。
これからは博士のご遺志をついで、我々が、会や猿橋賞を更に発展させなければなりません。猿橋博士に我々の活動を見守っていただくようお願いして、お別れの言葉とします。
2007年10月21日
猿橋勝子先生略歴
1920年3月22日 東京生まれ
1943 帝国女子理学専門学校(現東邦大学理学部)卒
中央気象台勤務
1954 ビキニ水爆実験後、「死の灰」を分析
1957 理学博士(東京大学)
1958 日本婦人科学者の会創立(平塚らいてう氏の励まし)
1962 カリフォルニア大学スクリプス研究所に招かれ、
米原子力委員会と共同研究に従事
1980 気象庁気象研究所地球化学研究部長退
「女性科学者に明るい未来をの会」設立、専務理事
1981-85年 第12期日本学術会議会員
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