第32回(2012年)猿橋賞
第32回 猿橋賞受賞者 阿部彩子氏の研究業績要旨
受賞研究題目 「過去から将来の気候と氷床の変動メカニズムの研究」
"Investigating the Mechanism of the Climate and Ice Sheet Change
from the Past to the Future"
地球の長い歴史の中で、極域の氷床の拡大縮小は、気候と大きく関係し気候変化の重要な指標になっている。とりわけ、人類が進化してきた最近100万年間は、氷期と間氷期が交互に約10万年の周期で交代し、氷床もその周期で拡大と縮小を繰り返してきた。このような気候と氷床の地球規模の変動を過去から将来にわたってシミュレーションし、その変化のしくみを解明する道を開くことに、阿部彩子博士は重要な貢献をした。
阿部氏は古気候の変動のしくみ、特に氷期と間氷期の気候の違いやその周期的な入れ替わりの原因解明を目指してきた。そのためには、氷期―間氷期サイクルで大きな役割を果たす氷床変動のしくみを理解することが不可欠と考えた。また、定量的に理解するには、コンピューターの中で地球上の現象を再現するプログラムを作り、想定される条件でその変動を計算して再現する「モデルによる数値実験」が必要と考えた。
大目標は、氷期―間氷期サイクルの再現。10万年の氷期―間氷期サイクルは、地球の軌道要素の変動だけでは説明できず、氷床、地殻・マントルと気候の相互作用が重要と言われている。これらの要素をすべて入れて、10万年以上の変化を計算することは、現在のスーパーコンピュータの能力をもってしてもむずかしい。
そこで、本質的な要素をどのように計算に入れ、どこを簡略化できるか検討した。氷床は、太陽光をよく反射し、その上空の大気の温度成層を安定化させる一方で、障害物として山岳と同様に偏西風の流れのパターンを変える。これらの氷床の性質が気温、降水量、大気循環などに及ぼす影響を解析した。地球軌道要素と二酸化炭素濃度が気候に与える影響も定量的に推定した。さまざまな工夫を重ねて、10万年以上の変化の計算も可能な「気候・氷床結合モデル」ができた。これに12万年間の地球軌道要素と大気組成の時間変化を与え、応答する氷床の体積変化を計算した。コンピューターの中で、ゆっくりと氷期が進行した後、急激な温暖化が起こった。世界的な氷床分布の変化も再現できた。観測でわかっていた10万年サイクルの氷期―間氷期変動の特徴を再現することに世界で初めて成功した。日射が強くなると、氷床が小さくなり、地殻変動を起こし…という相互に影響を及ぼす地球の変化を読み解く道が開けた。
従来の古気候の研究では、地質学や地球化学手法で過去の事実の「観測」に重きが置かれていた。メカニズム解明には、時間スケールの長さから、概念的で簡単なモデルしか用いられてこなかった。しかし、概念モデルでは、その結果を直接、観測事実と比較・検証できないので、推論が多くならざるをえない。阿部氏は、世界で初めて、本格的な物理的気候モデルと3次元氷床モデルを結合させて観測事実の再現に成功し、この分野の研究に新機軸をもたらした。12万年の時間変化の計算を行い、日単位の気象現象を表現しながら、長期の時間スケールである氷期―間氷期サイクルの再現に成功し、古気候観測事実との対応を可能にしたことで、古気候研究における一つの新しい流れを作った。阿部氏は、現在、植生や炭素循環や海洋深層循環変動も考慮に入れて、さらに進化させたモデルを使う研究も発展させている。
長い時間スケールの気候変動の力学を詳細に解明する試みは、古気候の理解のみならず気候力学にも重要な貢献をした。古気候変動の再現には、注意深くそれぞれの物理過程を表現しなければならないことがわかり、気候システムは、極めて多くのプロセスの微妙なバランスの上に成り立っていることを改めて示した。古気候シミュレーション研究は、気候モデルの性能を確認する上でも重要だということが最近、認められてきた。地球温暖化予測に用いる気候モデルで、古気候変動を再現できれば、地球温暖化予測に対する信頼度を高めることになる。IPCC(気象変動に関する政府間パネル)報告書でも古気候研究が大きく取り上げられるようになった。
阿部氏は2013年に出版が予定されている第5次IPCC評価報告書の執筆者にも選ばれている。地球温暖化に似た現象は過去にもあり、6千〜9千年前や13万年前、数百万年前に顕著な氷期サイクルが始まる前の温暖期などが関心を集めている。これらに関連した研究は、国際的に共同研究でなされ、阿部氏は推進役としても活躍している。
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